湯浅 誠氏「講演会」記録(要旨)

湯浅 誠(社会活動家・法政大学教授)

1 演題 「子ども食堂の現状と展望」 

  ―地域で役に立つ食堂とはー
・ 日時 2018年2月18日(日)13:30~15:30
・ 場所 市民プラザかぞ5階・活動室
・ 主催 一般社団法人すくすく広場
後援 加須市・加須市社会福祉協議会

2  講演の概要
(1)日常生活であきらめなければならないことの問題
①一般に持たれている「貧困」のイメージからすると日本は裕福に映る。しかし、「ご飯食べてる」「学校行っている」→「じゃあ、たいしたことないじゃない。」ではない毎日の生活の中で、友達と遊びに行ったりすることをあきらめなければならないことが問題なのである。
②高校生からのある相談から見える実態
ひとりぼっちでいたい訳ではないが、つきあうとお金がかかる。どっちにころんでも問題がある。このような状態が人を弱らせる。
 (2)見た目では貧困が分からない黄信号 
①山梨県中央市立田富小学校の例
内藤校長は、就学援助を受けている家庭に「フードバンクこども支援プロジェクト」の説明文を渡した。結果は、2つの意味で内藤校長の想定を裏切るものだった。まず、申請者。3分の2が日本人家庭からの申請だった。実際の申請数は、内藤校長の想定の6倍にのぼった。「私たちの目に見えている部分は非常に少ないんだな」と内藤校長は痛感した。
②問題は黄信号
赤信号は、学校に来なくなる、まわりも把握しているなど、明らかに貧困の様子がわかる状態であるが、問題は黄信号である。
③赤信号の手前の段階に必ずある黄信号
貧困率が“7人にひとり”の状態は黄信号も含んでいる。例えば、学校には普通に通っているが、お金がかかるから修学旅行に行けない状態。行けないだけではなく、友だちとの事前準備や事後の思い出話に加われない。だけど、周りのみんなは気がつかない。なんとなくはじかれている状態が続いて孤立感が増し、自分から離れていってしまう。
④高齢者の最近問題となってきた黄信号の例
・昔とてもお世話になった人の訃報を聞いた。お葬式に行きたいけれど、交通費と香典を出すと生活がかなり厳しくなり、行けない状態。そうなったら、「あの人来ないんだね」と周囲に言われてしまう。周囲に言われなくても、本人がみんなに合わせる顔がないと思ってしまう。
・それをきっかけに、親戚づきあいや地域のつきあいから疎遠になって、人間関係が薄れていく。たしかに、お葬式に出なかったからと言って死ぬわけではない。でもそれはとてもつらいことだと思うし、できることならきちんと故人に別れを告げられるとよいと思う。「修学旅行に行けない」という子の問題と同様なこと。

(3)胸を張って堂々とすることができない貧困状態に置かれた子どもたち
(湯浅誠氏の兄との関わりのエピソードを引き合いに出して、貧困状態にある子どもたちの問題を指摘)
①障害を持つ人も、堂々と胸を張れる社会にする事=自分の仕事
・40年近く前は、車椅子で街を移動する人はまだ珍しい時代だった。
・湯浅氏の兄は、車椅子を使う障害者だ。幼いころから兄の介助で車椅子を押してきたが、兄は通行人とすれ違わないように、前方から人が来ると「曲がってくれ」と湯浅氏に伝えてきた。
・そのため、近くにある施設から家まで、いつも遠回りをしていたという。
「何も悪いことはしていないのに、どうして堂々とまっすぐ行かないんだろう」という気持ちがあり、ある時兄の希望を無視して曲がらずに進み、通行人とすれ違った。
・そのことに激怒した兄に、「兄の言う通り曲がるべきだったのか」「曲がらないことでよかったのか」と悶々としたが、出た結論は「曲がる、曲がらない、どちらも間違っている。間違っているのはジロジロ見る社会のほうだ」。
②障害者問題の発展と貧困
貧困状態に置かれた子どもたちにも同様で、貧困状態にある子どもたちが堂々とできる社会をつくるために、周囲の大人は何ができるか。それを考え続けてきたという。

(4)貧困とは
①貧困を考える上での3つの状態
子どもの貧困は、「お金がない」だけではない。「お金がない」に加えて、「つながりがない」、「自信がない」、という3つの状態が重なっていることを指す。
②貧乏と貧困の違い
ただお金がないだけで、友人関係がいっぱいある」とか、「お金はないけど自信たっぷり」と言う人は、”ただの貧乏”。”貧乏”と”貧困”は異なる。
③国や行政がカバーできない「つながり」「自信」
問題が「お金がない」ことだけで生活が困難な状態にある人については、国や行政が最低限カバーするとして、しかし「つながりがない」「自信がない」という状態は、国や行政ではカバーしきれない。
④家庭にかわる居場所
本来は家庭において、「つながり」や「自信」を育むべきではあるが、貧困家庭においては親が多忙だったり、病気がちだったりすることから、それを期待することが難しいケースも多い。では、家庭のかわりに「つながり」や「自信」を育む“居場所”はどこなのか。競争を強いるような学校ではそれは難しい。

(5)居場所の4つの条件
「居場所」について、それが”幸運にも自分の育った家だった”という湯浅氏の「居場所」の定義
①衣・食・住が満たされていること。
・食事以上にその子とかかわる時間を持つ→ 子ども食堂の重要性
②体験を提供してもらうこと。
・障害者の兄への支援者と多くふれ合った→ 湯浅氏の価値観を広げてくれた
・多くの家庭では普通のこととして鍋をつついていることが本当なんだと驚いた最近の女の子。特別なことではないことでも体験がない子どもがいる。
③時間をかけてもらうこと。
・誰かに見守ってもらえていると感じられる環境
④トラブルに対応してもらえること。
・-たとえば体調が悪い時、怪我した時などに適切にケアにしてもらえる環境

(6)居場所づくりをするには
①社会的養護の必要性
すべての子どもたちが家庭でこの4つの居場所の条件が満たされていればよいけれど、足りない場合は地域や社会でフォローし、顔見知りになること。
②地域的養護の必要性
家庭で担いきれないことを、地域の大人たちができる範囲でカバーすればよい。黄信号の子どもに対しては特に目をかける。
③子ども食堂で最も重要なことは子どもとかかわる時間の提供
・「とにかく食事を提供する」ということに躍起になるケースもあるようだが、そんなときは少々立ち止まって「子ども食堂」と「ファーストフード」の違いを考える必要がある。
・温かい食事・カロリーを安価に提供する、ということは共通しているとしても、「見守ってもらっている実感」はファーストフードでは育まれることはほとんどない。ファーストフードの店員に「最近体の調子どう?」「元気ないね」などと声をかけてもらうことは、まずない。ファーストフードはそういう「対話」を極力削って効率化することで利益を上げるのが目的だからだ。子どもにとっての居場所を提供するなら、「居場所の4つの条件」を意識すること。
④「いるだけ支援」の意義=多様な価値観の人間とふれ合い
たくさんの大人が関わることで、地域の「網目」が密になり、こぼれる子どもが減る「子ども食堂に関わるなんて、そんなのは意識高い人のやること」「自分が子どもたちにしてあげられることなんてない」などと思うことはない。
特別なことをする必要はなく、「いろんな人がいること」を子どもに示すことが大切なのだ。特別なことをする必要はない。

 

3 参加者の声
(1)参考になったこと
・とにかく関心を持つということ。赤信号を見落とさないことが大切だということ。
・近年増え始めている子ども食堂の実態を分かりやすく「貧困対策」「街づくり」に分けて解説して下さったこと。「救済としての子ども食堂」に視点が言ってしまいがちだったが、「街づくり」から網をかけていける可能性の大きさについても確認することが出来た。
・「なにかをしなければならない」と考えるのでなく、「そこに居るだけでも支援になる」というのは目からウロコ状態でした。頑張らなければと気負わなくても良いのだと思いました。
・「先ずは『身体を持っていく』ということが関係性のスタートとなる」。今日の講演を機に身体を運んだことから、始められたら…です。
・「どっちに転んでもリスク、周りはリスクだらけ」という人がいるということ。逃げ場がないというのは本当につらく、スライドを見ていて涙がでました。
(2)さらに知りたいと思ったこと
・立ち上げるにあたり、食品衛生上の課題(保健所の申請)は何かありますか。
・フードバンクについて知りたい。
・行政との連携の実情や今後の展望について。運営を継続する方策。チームのマネジメントについて。安全対策・危機管理。
・地域と子どものつながりが希薄な時代になっています。我が家も共働き世帯で、数年前はそれ程地域の大切さを感じていませんでしたが、東日本大震災を機に、地域の重要性を痛感しました。地域とのつながりについてもっと知識を深め、地域の重要性を若い世帯にも感じてほしいと思います。
・実際に子ども食堂をやっている方の体験談も、今度はきいてみたいです。
(3)今後の当会の研修会に期待すること
・ボランティアの養成、研修。
・お取り組みや実践に関するご報告、ケース検討会なども伺ってみたいです。とても興味があります。
・子育て世帯向けにも勉強会を開催してほしいです。
(4)その他
・いろいろ続けている内に、いろいろな気づきが出来ることが出来るような気がする。
・私の周りに、困っている人があまり見えていない。
・続けることの大切さと、安全面について考えさせられました。
・このような会を設けていただき、ありがとうございます。私の視野を広げていただきました。
・子ども食堂という名前があまりにも有名になりすぎて、いくら”誰でも来ていいですよ“と言ったところで、やはり”子ども食堂に行く=貧しいと思われる“イメージは払しょくするのが難しいのかなと思います。